――魔王に呪われた騎士の話。
魔王に挑んだ友を失い、自分は呪いに掛けられ、化け物になった騎士は、それでも国のため、王のため、王妃のために剣を取り、戦った。
自分の未熟を恥じ、友を死なせたことを悔やみ苦悩しながら――それでもなお、友の意志を受け継ぎ、国を救うために聖剣を手に魔王と戦った勇者の物語。
忠義のために、親友のために、仲間のために剣を取って戦ったその勇者の名は_____
里の外からやって来た吟遊詩人が聞かせてくれた物語に、幼き日の俺は心を奪われた。
だが、
「ヒュムを守る騎士などとは馬鹿々々しい」
「母なる大地、聖なる大樹を汚したヒュム共が聖剣などとはおこがましい」
「呪われて当然の種族だ」
旅の吟遊詩人が子供に読み聞かすお伽話に里の者は指さして笑い、時には怒鳴り声を上げて里を追い出した。
俺はこの里が大嫌いだ。
――誇り高き種族に生まれたのだから、自然を慈しんで当然だ。
――常に自然の声に耳を傾け、そして受け入れられる我らにこそ、魔法は相応しい。
――己の懐だけを満たすためにこの大地を汚す他種族と交流するなど、愚か極まる行為だ。
どいつもこいつも、馬鹿の一つ覚えみたいにおんなじことを言って、おんなじことを俺に押し付ける。
みんなと同じ考えを持って。
みんなと同じ生き方をしよう。
それを当たり前のように考える里の者たち。
どうして、魔法を使えないといけないのだろう。
どうして、自然と共にならねばならないのだろう。
目指すものを胸に抱いて何が悪いのか。
そう思いながら、俺はいつしか口を噤むようになった。
どうせ誰も耳を傾けてくれないのならば、口にするだけもったいない。そう思って。
やがていつまでたっても変わることのない里に嫌気が差して、俺は里を出た。
――その頃にはもう、何になりたかったのかなんて忘れてしまっていた。
俺はメディナヘイム出身のハイエルフ。
カリス・ナーガだ。
◇◇◇
討伐クエストを終えた俺たちは、洞窟からの最寄り町――港町ラチョスのギルドで報告を終え、帰路に着いていた。
港町ラチョスは大きく分けて二つの区画を持つ町だ。このあたりの海を縄張りにしている海賊たちが定期的に来訪するらしく、そんな彼らが停泊でき、商いを行える西区と、ごく普通の住人が生活し、旅人などが往来する東区に二分されている。
ついでに言うと、俺たちのような冒険者は、街の行政府曰く丁度その間のような扱いらしく、二つの町の真ん中に位置する辺りに冒険者ギルドが設けられていた。その扱いに関して不満を抱く冒険者もいる。
だがまあ、俺はその扱いに納得する。冒険者っていうのは聖人君子や清廉潔白な英傑の集まりでもなければ、極悪非道の罪人集団というわけでもない。ただ、お人好しの間抜けやガラの悪い連中も多いので扱いとしては妥当だろう。
「どーしたカリス。相変わらずつまらなそうな顔しやがって。悩み事があるんだったら聞いてやるぜ。有料でな」
そう言って、俺の顔をパーティーの盾役の大男がからかうように言った。
ポンコツが戯言を口にするな。あと、しまりのない顔で笑ってるんじゃない。悩み事だと? それなら一つある。どうしたらお前が盾役としての仕事をまっとうにこなせるかっていう、その一点に尽きるに決まっているだろう。前を歩き厭らしい笑みを浮かべるこの大男にその話をするのが面倒なので一言で返す。
「…お前がつまらないからだ」
「こいつ……っ!」
「よせよ、二人とも!」
言葉を口にしたら余計にややこしいことになる。そう思うから、俺は何も言わない。
「ったく……相変わらずのむっつり野郎だな。俺じゃなきゃ殴り飛ばしてるところだぜ」
それに関しては、まったくだと俺も思う。俺とこんなやり取りをした連中は、揃いも揃って怒鳴り散らし、時には殴り掛かって来た。そんなこともあり、クエストで一緒になってパーティを長く組むことはない。口にはせずに胸中でぼやくこの性格に合うやつはまあいないだろう。
「まあ、いいや!カリスはいつもこんな調子だからな」
「だな」
「さて、本日最後の仕事に行きますか!」
「・・・・」
おそらく酒場に行くのだろう。毎度ギルドからのクエストを完了した後の、このパーティ恒例行事のようなものだ。
普段であれば、俺も同道しただろう。
だが――
「……――帰る」
「お、カリスどうした?」
「少し疲れただけだ。俺のことは気にせずに行ってほしい」
「そうか……じゃあ、また次のクエストで」
「ああ…」
俺は彼らと別れ――夕暮れの街を歩き出した。
◇◇◇
ぶらりと街を歩きながら、俺は考えていた。彼ら、そして自分について。
彼らと組んでしばらく経つが、それだけ彼らの人となりも見えてきている。人柄も良く、冒険者として強い矜持と意志を持ち、そして常に高みを目指す上昇志向もある。俺のこの難儀な性格もある程度理解し、付き合いをしてくれる。
彼らと正式にパーティを組むのも悪くない。悪くないんだが……何故だろうな。それは違うと思う部分が、俺の中にはあった。
俺が、彼らと共に行かなければならない理由。俺が、彼らの仲間になりたいという、強い理由。それが見当たらない。思い当たらない。
そもそも、冒険者になった理由すら俺は曖昧だった。ただ流されるままになったような気がする。――まあ実際腕っぷしだけで飯が食えるのはありがたいが……やはりその成り行きにも明確な意思はない。
そう、すべては成り行きだ。ただその場の流れでそうしているだけ。
何とも情けない話じゃないか。俺は此処までの自分を振り返って、思わずそう自嘲した。
そんな事を考えながら、歩いていたら気が付けば、町外れまで来てしまったようだ。
来た道を帰ろうと踵を返して歩き始めた瞬間、突然何かにぶつかった。
「あああああああ! ヒューズストーンが!?」
何者かが、そんな絹を割く――というには少々力強い悲鳴が、足元から上がったのだ。
一体なんだ? それに今、ぽちゃん――って。何かが落ちたのか?
◇◇◇
見下ろす。そう――見下ろした。そうしなければ、その悲鳴を上げた相手が視界に入らなかったくらいに、相手の背丈が小さかった。
其処にいたのは獣を彷彿させる耳――ミクルフの娘だった。
「ちょっとアンタ!!」
「あ、はい」
ミクルフの娘が声を張り上げた。俺は思わず背筋を伸ばして娘を見下ろす。気の強そうな瞳が、俺を射抜く。子供に怒鳴られて身を竦めてしまった俺。すごく情けないような……
「どうしてくれんのよ! あんたのせいでせっかく見つけたヒューズストーン、落としちゃったじゃない!」
「え、あ、すまない」
俺はとりあえず謝った。俺にしてはかなり上質な謝罪だったと思う。だが勿論ミクルフの娘はその程度で怒りを収めたりはしなかった。娘はその場で地団駄を踏み、がっかりしたように項垂れる。
「まったく、ジャンヌ様が『上質なヒューズストーンがあればいい情報が手に入るんだよなぁ。誰か見つけてくれないかなぁ~』ってつぶやいていたから、必死になって探しててこの町外れでようやく見つけたのに……」
――ジャンヌ、というのは誰かの名前なのだろう。娘の様子と言葉から察するに、おそらくはそのジャンヌとやらの従者か使い走りか何か、あるいは奴隷か……なんにせよ、そのジャンヌなる人物に何らかの指示を受けていたのだけは判る。
そして与えられた指示を達成しようとした矢先に俺とぶつかって――あとはまあ、語るまでもなしか。
だから、俺は「仕方がない……」と小さく零し、特に迷いもなく川へと降りた。まだ日暮れ前だ。この娘が見つけたというヒューズストーンを探すのならば、日が落ち切るより前がいいだろう。
俺は川に入ると、水の中へと腕を突っ込んだ。これが冬だったら冷水で身を凍えさせてしまうところだったが、幸いにも季節は夏だ。むしろ心地よい水温で助かる。川底の石を拾い上げながら、目的の石でないのを確認するとすぐに川縁へと投げ捨てた。近くに投げたらまた同じものを拾ってしまう可能性もある。それを避けるためだ。
「……なにしてるの?」
そんな俺の背に、娘はそう問うた。俺は阿呆かと胸中で愚痴りながら、娘を振り返る。
「石を探している」
「……マジで?」
「何か変か? こうする他ないだろう?」
「ああ……うん。そりゃそうなんだけど」
何処か茫然としているミクルフの娘の態度に、俺は釈然としないままに言った。
「呆けていないで、探すのを手伝えよ」
「あ、やっぱり?」
俺の言葉に、ミクルフの娘は鼻で笑いながら川へと降りた。
◇◇◇
「――てかさ」
川に降りて数分もしないうちに、娘がじゃぶじゃぶと川の水をかき分けながら口を開いた。こいつ、黙って作業できないのか。
「あんたさ、その耳を見た感じ、エルフじゃん。魔法で探せたりしないの?」
「呪文を知らねば魔法は使えないことくらい知っているだろう」
と、いうかエルフだから誰でも魔法が使えるわけじゃあないし、失せ物探しの魔法など知らん‼︎と言いかけたが止める。
「ってことは、知らないの?」
「知らないと言っただろう。そもそも、興味がない」
「ふーん。エルフなのに、魔法に興味がないって、変な奴ね」
「――……」
さして興味もなさそうに放たれたその言葉に、俺は努めて口をつぐんだ。そうしなければ、すぐにでも口汚く罵ってしまいかねないからだ。
どいつもこいつも、エルフだから魔法が使えるとかいう意味の分からない固定観念を持ちやがって。
周囲のエルフに対する考えは一貫して共通していた――誰も彼もが口を揃えてこう言いやがる。
エルフは、どの種族よりも魔法に精通した種族だ――と。
俺が剣と弓を得意とし、魔法を使えないと知るや否や、身勝手な言葉を口にして去っていく。どいつもこいつも身勝手な話だ。
エルフに過度な期待をする連中も、魔法がエルフの得意分野と思われている風潮も、どれをしても、否応なしに俺を攻め立てる。
里の者たちは、口を揃えて「エルフならば魔法を使えずどうする」と言った。
外の世界の連中も、口を揃えて「エルフなのに魔法が使えないなんて」と言った。
エルフならば。エルフなのに。エルフだから――ふざけるなよ。
エルフだって、好きなものを学んだっていいだろう。好きな武器を手にしたっていいだろう。戦い方だって、生き方だって、俺が思うままに、望むままにしたっていいはずだろう!
勿論――それがいいわけだということは重々承知していた。実際は、生まれなど関係なく、種族など関係なく、本気で臨みさえすれば――心無い他人の言葉などに揺れることもないはずだ。
そうすれば、何者も俺の目指すものを阻むことはできない。
だが――判らないのだ。
俺は――
「何を、目指せばいい」
ぽつりと、俺はそんなことを口にしていた。言葉にするつもりなどなかったのだが、どういうわけか、言葉が自然と零れていた。
「ん? なんか言った?」と、娘が俺を振り返る。
俺は「何も……」と応じ、向けられた視線から逃れるように空を仰ぎ――
「――……一番星か」
夜の帳に染まり始めた空に輝く星を見つけた。
「……そういえば」
星は、人々の命の輝きだという言い伝えが俺の故郷「エルフの隠れ里メディナヘルム」にあったことを思い出す。この地上だけにとどまらずあらゆる世界に存在する命の数だけ、星は存在するのだと。そして、空に最初に輝く暁き星は、竜神の煌めきなのだ――と。
「――竜……ね」
思わず、俺は失笑する。
――竜。
かつて存在した、この大地に生きるあらゆる生命の頂点だった存在であり、御隠れになって久しき、伝説の生命だ。
故郷の呆れるほど長生きしている老人たちは、実在の存在だと語って止まないが、俺はそんなやつを見たことがない。
俺からすれば竜の存在の真偽は眉唾物だ。
「だが――」
あの空に煌めく星の光は、綺麗だと思う。
それが竜の命の光だというのなら、竜とはさぞ壮大な存在なのだろう――
「もう、さっきからなに一人でブツブツ言ってるのよ~そんな独り言エルフにはこうだ。えいッ!!」
そういって放たれた水のつぶてが顔面を捉える。
「お~~命中命中!」 とケタケタ笑うミクルフの娘。その顔にイラッとした俺は長い腕を大きく振りかぶって、特大の飛沫をお見舞いすることにした。
「うわっぷッ!何それ、めっちゃ本気じゃん!!」
「仕掛けてきたのはそっちだろ?」
「もう!ヒューズストーン早く探してよ!」
「そっちこそ、大事なものだったんじゃないか?」
石探しから一転して水かけ合戦が始まった。まあ、ミクルフの娘の気が済んだらーーーーー終わるだろう。
「バシャバシャ」
「ザブザブ」
「バシャーン」
「・・・・・・・・・・」
俺は一体なにをやっているんだ?と我に返ったその時。
「――おやぁ。誰かと思えば、うちのかわいいマイラじゃないの。こんな夜に、な~に水遊びしているのよ~」
声が――降って来た。
俺の耳にその声が届き、俺は自然と声の主を見る。川に掛けられた橋の上に、その人物はいた。
――思わず、息を呑んだ。
橋の上――夜の帳とちりばめられた星の光を背に立つのは、一人の女性。
悠然と。あるいは超然と。
理知的ながら、同時に強い自信に満ちたその眼差しに射抜かれ、俺は彼女から視線を逸らすことができなくなる。
単純に――美しい、と思った。
同時に、知性と気品を宿しながら、気高さと勇猛さが全身から溢れ出ているような人物だとも感じた。
そんな一言では表しがたい美貌の女性は、何処か不敵な笑みを浮かべて、俺を見下ろしながらからかうように言ったのだ。
「――で、そこの水に濡れた格好いいお兄さんは、私の連れとなにしてるのかな?」
◇◇◇
「この娘が世話になっちゃったね。ありがとう――ってことで、此処は私のおごりにしておくから。好きに飲んで、好きに食べてくれていいよ♪」
朗らかに笑い、女性――ジャンヌは杯を傾けた。
「ジャンヌ様、ごちそうになりまーす!」と、果実酒を舐めるミクルフ娘改め、マイラ・ファーヴニーを間に挟み、俺は並々と注がれた葡萄酒が注がれた杯を手にしたままだ。
……何故、こんなことになっている?
俺は本気でそう思った。
ほとんど成り行きに等しい勢いで酒場に来て、気づけば酒盛りの席にいた。俺自身何を言っているのか判らないが、状況はそうとしか説明できない状況だった。
「そういえばジャンヌ様。ヒューズストーンはいいんですか?」
「ああ、それはもういいの。マイラが行った後も、懇切丁寧に話し合って騙り合って、あとはまあ、あれよ。熟練の大人ならではの交渉術を使って教えて貰ったから」
「なーんだ。そうだったのですか。流石ジャンヌ様ですね!」
と、得意げに語るジャンヌの話に目を輝かせるマイラ。
どうでもいいが、なんか今言葉が色々可笑しくなかったか? いや、多分訊いたら面倒くさいことになるな――そう思って、俺は喉から出かかった疑問の言葉を呑み込むように、別の質問をした。
「――貴女たちはいったい何者ですか?」
「私? 私は冒険者だよ~」
俺の端的な問いに、ジャンヌはにやりと口の端を持ち上げながら、何処からともなく手にしたギルドカードを差し出した。
ジャンヌ・エトワル。記載されているハンターランクはA。それはギルドに認定されたA級ハンターの証だった。
俺は思わず目を丸くして、ジャンヌを見る。彼女はくくっと笑って「意外かな?」とからかうように言った。俺はしばし押し黙ったあと、
「……正直に言えば」と答えた。
「素直でよろしい」と、ジャンヌは笑った。
俺たちのやり取りを見ていたマイラが、「ちょっとアンタ、ジャンヌ様に失礼でしょ!」と憤慨するが、俺は「あー、すまん」とおざなりに謝っておく。
「それが謝る態度かー!」と更に眉を吊り上げるマイラに、ジャンヌは頭をぽんぽんと撫でながら「こらこら。落ち着きなさいよ、マイラ」と軽く諫めた。
そのやり取りを見て、俺は思ったことを口にする。
「……どういう関係ですか?」
正直、主従には見えない。だが、明らかにマイラはジャンヌに敬意を抱き心酔しているようにも見えた。だからこその疑問だ。
「ん? 私たちかい?」
ジャンヌが首を傾げる。俺は即、首を縦に振って頷いた。ジャンヌはにやりと――と表現するにはやけに蠱惑的な笑みを浮かべると、マイラの肩を抱き寄せて、
「――御覧の通り〝恋人〟よ」
そう言って、軽く少女の頬にキスをした。途端、マイラは顔を真っ赤にして「きゃぁーー!」と嬉しい悲鳴を上げる。その表情を見るに、マイラはまんざらでもなさそうだった。
「ソウナノカ」
……ああ、うん。そうか。うん、なるほど。俺は心ばかりジャンヌから視線を逸らして、無心を心掛けながら葡萄酒の杯を傾ける。
そんな俺の反応を見て、ジャンヌはマイラの肩からパッと手を放しながら言った。
「あ、こら。考えることを止めてる顔してるわよ。冗談よ。ジョーダン」
「えー、冗談だったんですか。残念〜」
と、マイラは少し残念そうに眉尻を下げている。そんな彼女の頭を撫でながら、ジャンヌは串焼きを手に取ってそれをマイラの口に放り込みながら言った。
「別段、なんか特別な関係ってことはないよ。少し前に、私がこの子を助けて、それ以来一緒に旅してるの」
「なんかすごくかるーい話みたいにいってますけど、ジャンヌ様は恩人ですからね! ワタシはその恩を返すために、ジャンヌ様の旅に無理言って同行させてもらってるんです!ホント、感謝感謝ですよ!」
「――そう思うんなら、まずその『様』付けから止めようよ。背中がむず痒くなっちゃうから」
「えー」
頬を膨らませるマイラを見て、ジャンヌがからからと笑った。多分、何度も同じやり取りを繰り返しているのだろう。やり取りによどみがなかったが、今度はこれが首を傾げる番だった。
「助けた?」すると、二人は揃って頷いた。
「この子が、帝国の連中に捕まりそうになってたから、そこをちょいちょーいとね」
「凄かったんだよ~。帝国兵を千切っては投げ、壁に床に叩きつけ、逆らう者は容赦なく――」
「おーいおい。それ誇張しすぎでしょ、マイラ」
そう言って笑う二人。果たして何処まで本当で、何処まで虚言なのか怪しい。やりかねねぇなぁ……という意味で。
「ちょーっと私が竜の話を大声でしてただけなのにさ。帝国の人ってホント頭が固いよ」
「貴女のはちょーっと、ってレベルは遥かに超えてたけどね。帝都から遠い街とか辺境都市ならまだしも、帝国のお膝下で竜の話はご法度ってのは、常識よ」
「竜……?」
二人の口から飛び出た単語に、俺は耳を疑った。が、二人はなんてこともない様子で頷いた。
「そう。竜だよ。竜。この子、本物の竜を目にするのが夢なんだって」
「本気で?」
正気か、こいつ。俺は呆れてマイラを見た。その存在の真偽すら怪しい竜を探すなど、常識的に考えれば、正気ではないと思う。
だが、そんな俺の考えなど露知らぬマイラは、にやりと笑って胸を張った。
「そうよ、そうですよ! あらゆる生命の頂点にして、この大地の守護者。歴史上では帝国に倒されちゃったって言われてるけど、ワタシは何処かへと姿を消したって思ってるの!昔っから動物とか大好きなんだけどね~。なんていうか、そういうのが高じちゃってさぁ」
「で――極まって〝竜〟をこの目で見たい、と?」
「そうよ。凄くて強くて格好いい! そんな気がするでしょ?」
にぱっと満面の笑みでそう言うマイラだった。
「面白いでしょ? この子」と、ジャンヌが笑い、
「ある意味ね」と、俺が溜め息ひとつつき、
「こいつめっちゃ失礼だ!」と、マイラが両手を振り上げて怒りを露わにした。それを俺は軽くあしらう。まったく、子供はこれだから困る。
「で、貴女も〝竜〟を追う口ですか?」
すると、ジャンヌは「違うよ」と否定し、
「――〝竜〟に限ったことじゃなくて、私は古いもの全般が興味対象」
そう言った。――古いもの全般?
「私は考古学者なのよ。荒事もするけど、専門は古代の遺跡や神殿の調査。ギルドのクエストも、そっちを優先してる口よ」
「――何故、考古学者が冒険者に?」
「質問多いねぇ、君」
少し不満げに言いながら、だけどジャンヌはにんまりと笑って続ける。
「昔は帝都の学院にいたんだけどねぇ。あそこ、しがらみ多くって。あと、学問を志す機関のくせに、帝国の言いなりもいいところ。考古学なんて言いながら、帝国の文化と歴史をつらつらと残すだけの連中の集まりだったのよ。だから、不満が積もりに積もって辞めちゃったの♪」
辞める――って。思わず言葉を失う俺だったが、何やら堰を切ったように、ジャンヌは麦酒…に見えた麦茶をぐびぐびと飲みながら続ける。
「周りの連中にさ。よく言われたよ。ああしろ、こうしろ。これはするな、あれは無意味だ。言う通りにして、学院の方針を遵守して、過去を荒らして新しいことを――なんて、考える必要はないって。そういう連中は揃って異端扱いしてさー。考古学を何だと思ってるんだってさ。んで、言ってやったの。お前らの言い分で、この私が止まるとでも思ってるのか――って。で、私は帝都の学院を飛び出して、冒険者兼考古学者に転向! そして今に至るわけ」
「後悔は、していないのか?」
すると、ジャンヌは一瞬目を丸くした後、不敵な笑みを浮かべた。
「学院を辞めたこと? なら、これっぽっちもないよ。面倒なしがらみから解放されて、自由の身! やりたいことを思うがままに。知りたいことを望むがままに。必要な知識はとっくに身に着けていたしね。勿論、自由にはそれ相応の代償がある。この身に起こるすべては自己責任。何があっても誰かが助けてくれることなんて極稀なこと。まるで無明の荒野を一人孤独に歩くようなもの。だけど、そういうのも全部込みで、この道を選んだ。選択をした。だから今、こうして此処にいる。そういう意味でも、後悔はないよ。面倒は多いけどね~」
と、自信に満ち溢れた言葉と共にジャンヌはにししと笑った。
「さすがジャンヌ様!」とマイラが感嘆の声を上げる中、俺は口を閉ざした。
先ほどの質問が、何故俺の口から出たのか判らず――また、ジャンヌの自信と強い意志の込められた言葉に痛感する。
それが、俺と彼女の違いか。
俺は、後悔しているのだろうか?故郷を飛び出したことを、後悔しているかと言えば、それは違うとはっきり言える。
ならば、俺が後悔していることとは?
思い当たるモノがあるとすればそれは――自由への選択と責任について。
そして何より――自分の目指す未来像。
それらを持たなかった結果が、今の俺自身なのだとすれば――なるほど。随分と空虚で蒙昧な時間を過ごしてきたものだと、俺は自嘲する。
「カリスや何か悩みがあればワシに言ってみるんじゃよ?」
不意に名を呼ばれて、俺はいつの間にか俯いていた顔を上げた。
「そんなぶっきらぼうな表情してちゃ、周りが心配するんじゃよ」
何故か老人口調でしゃべるマイラ。余計なお世話だと言いたかったが、口にはしなかった。
「じゃあ今度は、私から質問ね――君は何者なの?」
「――カリス・ナーガ。冒険者だ……魔法は使えないが、剣と弓には自信が――」
「そういう自己紹介的なものではなくてさ~」
ジャンヌは「ノンノン」と首を振る
「私が訊いたのは、そんな対外的な自己紹介じゃないよ。君が、君自身をどんな存在と捉えて、どんな存在と思っているかって話」
あまりに抽象的な話に飛躍して、俺は彼女が何を言いたいのか測りかねて、目を丸くしてしまう。
その間にも、ジャンヌは楽しそうに――心から愉しそうに言葉を紡ぐ。
「ほら、考えて。君は誰を愛し、誰に愛され、誰を傷つけ、誰に傷つけられた? 誰と関わり、誰と交わり、誰と争い、誰を許した? 何を考え、何を思い、何を願って、何を諦めた?
――判るかな。そう言ったすべてが、君を形作るってことが。
喜びも、悲しみも、怒りも、憎しみも、夢も希望も絶望も含めて、生まれてから此処に至るまでのそのすべてが君なのならば――君は、どんな君を思い描いて、今、どんな風な自分を望んでいるの?」
それは――
考えたこともなかったことだった。
いつだって、周りが勝手に俺という存在を決定付けていた。思想、印象、期待、評価――それら諸々は、故郷にいた頃も、冒険者になってからも、否応なしに俺の耳に届き、俺はそのたびに彼らの言葉を苦々しく思い続けていた。
だが、同時に彼らの言葉から浮かび上がる〝カリス・ナーガ〟という人物像に、俺はずっと囚われていたのではないか?
その考えに、俺は突然これまでの自分の考えが莫迦らしいもののように思えてしまって――俺は、今度こそ本当の意味で言葉を失ってしまった。
そんな俺の様子に気づいたのだろうか。ジャンヌは嬉しそうに口の端を持ち上げて、こう言い放った。
「さあ、改めて――君は、何者だい? 君自身が思い描くカリス・ナーガって、どんな存在なの?」
「私はそこに、興味がある」そう言って、ジャンヌは杯を呷った。空になった杯をテーブルの上に置き、彼女は黙して俺の回答を待つ。
俺は考える。彼女から発せられた言葉の意味を、一つ一つを噛み締めて。
冒険者な俺。
弓が好きな俺。
剣が好きな俺。
魔法が使えない俺。
竜への信仰が厭な俺。
次々と浮かび上がってくるものを拾い上げて、俺は俺を見つめていく。
思っていたもの。忘れていたもの。見えなくなっていたもの。諦めていたもの。それらがすべて集束し、形になったとしたら――俺は、どんな俺になる?
そして最初に浮かび上がったのは、そう――ずっと昔に憧れた姿。
友のため、仲間のため、忠義のため――そのために、戦い、守る騎士の話。幼き日に憧れていた姿だ。
俺はジャンヌを見た。ジャンヌは、そんな俺の視線を受けて笑って見せた。
気高く、美しい笑みだと思った。だから、俺は自然とその言葉を口にする。
これこそが、俺の目指していたもの。そして今、ようやくたどり着いたもので、巡り合ったものだと、強く宣言するように。
俺は・・・・・・・
◇◇◇
「――『俺は、貴女の自由を守る騎士だ!』っていくらなんでも急展開過ぎるでしょ!」
というのは、マイラだ。いつの話をしているんだ。チビ!というわけにもいかず、俺は「うるさい」と一言だけ吐いて、溜め息を吐いた。
「しっかし懐かしいねぇ。いや、そんな昔って程の話でもないけど、あれには私も度肝を抜かれたよ。私の自由を守るって。しかもそれまで難しい顔してたのが、突然晴れ晴れとした表情で言うんだもの。イケメン補正も相まって、あれがプロポーズだったら大半のご婦人がオチちゃうやつだったね~」
「ええー!!まさかジャンヌ!?」
「あ、それはない」
騒ぎ出すマイラに、ジャンヌは即応した。俺はその反応に苦笑を浮かべて言う。
「別に、愛を囁いたわけではありません。俺は、俺の忠誠を貴女に捧げ、誓っただけです」
「あ~、そういうの堅っ苦しいからさ。もっとラフな関係でいこ?」
「別にいいでしょう。俺がそう思っているだけで、貴女に迷惑はかけませんよ」
そう言って、俺は口の端を持ち上げて見せた。
「それに、これが俺ですから」
「なら、仕方ないね。それが君だって言うなら――さ」
ジャンヌが不敵に笑った。俺は苦笑で応じ、荷物を担ぎ直す。
「マイラ。水飲みすぎるなよ。ポレパリベースまでまだ随分距離があるんだから」
「え? もう飲んじゃったけど?」
言って、空になった水筒を俺に見せるマイラ。俺は舌打ちをし、空になった水筒を奪い取り、荷袋へとしながら言った。
「ジャンヌ。マイラはもう、水いらないそうです」
「ちょぉぉぉぉぉっ! バカリス、なんてこと言うのさ! ジャンヌ、そんなことワタシ一言も言ってないですよ!」
「変な名前をつけるな!」
「あっはっはー。頑張れマイラ。湧き水でも探しなさぁい~」
「ぎゃあああああ! ジャンヌ! 許してよぉぉぉ!こんな荒野に湧き水なんてないィ~」
からからと笑って颯爽と歩き出すジャンヌの後を、マイラが涙目になって追っていく。その後ろ姿に、俺は気づかれないように笑いを零した。
悪くない旅だと思う。
以前のような、流れ流れの成り行き任せとは違い――今、俺ははっきりと、俺自身の意志で旅をしている。
なりたかった自分。一度は諦めていた色々な夢が、今はしっかりとこの手のうちにある。いつかどんな形で結末が訪れたとしても、後悔することは少なく済むはずだ。そこでふと、俺は「そういえば」と。
自分の未熟を恥じ、友を死なせたことを悔やみ苦悩しながら――それでもなお友の意志を受け継ぎ、国を救うために聖剣を手に魔王と戦った勇者の物語。概要程度しか内容が思い出せないわけだが。
「――ジャンヌなら、知っているだろうか」
俺がその物語に憧れたんだと言ったら、彼女は笑うだろうか。
いや、ジャンヌならこう言うのではないだろうか?
「――うん、いいんじゃない?」
俺がジャンヌに忠誠を誓った、あの言葉を口にした時と同じように。きっと彼女は、楽しそうに笑うような気がする。
そんな風に感慨に耽っていると、前を行く二人が俺の名を呼んだ。俺を振り返り、早くしろと手を振っているのが見える。
「――今行きます」
俺はそう答えて、彼女たちの後を追った。
第6話 星降る夜に想ふ 完
執筆 Aoi shirasame
原案・編集 Esta