「――もうちょっとだけ静かになんないものかなぁ」
と、一人の冒険者は蜂蜜酒で喉を潤しながら愚痴を零す。
どうして大衆酒場というのには常に一定の人数が存在して、そして常に誰かしら酒を飲んでいるのだ。
――大衆酒場にとって、喧騒とは切っても切り離せないくらい常識的な情景だ。もしも静謐と洗練された空間を求めるならば、高級なバーに行くことをお勧めする。勿論、この場所にそんなものを求める連中などいやしない。
――わあっ! と突然後ろのほうで声が沸き、思わず振り返った。
其処にはひとつのテーブルを囲むように人の山が出来ていた。むさ苦しく暑苦しい連中が、酒の入った杯を片手にゲラゲラと笑っている。
いつもの見慣れた酒場の風景のひとつ――なのだが、その湧く声の中にどうも変な声が聞こえたので、気になって冒険者は席を立ち、その人垣へと向かってひょいと覗き込む。
目に付いたのはもじゃ毛だ。そう呼ぶにふさわしい癖毛の男が、いかつい連中が陣取っているテーブル席の一角に突っ伏したまま「うぅうううう・・・」と変な声を発していた。
――というか、つい先ほど冒険者を唆してクエストを受けさせた、あの奇妙な男その人である。
「おうおう、キッキレキさん。みっともねぇ姿をさらすのはアンタの勝手だがなぁ。泣くのは払うもん払ってからにして貰えねェかな?」
「うう……い、言われなくても判ってる……わぁ~ってるよぉぉ!!」
テーブル席を陣取っている連中の中でも粗暴という言葉がしっくり来る男が、もじゃ毛――もといキッキレキと呼ばれた男へ催促の言葉を投げた。キッキレキは、顔面を涙と鼻水と他にもよく判らない汁でいっぱいになった顔を上げて(周りから「きったねぇなぁ」という野次が飛んだのは言うまでもない)、左手に力いっぱい握り締めていた紙切れを、悔しそうに男の前に置いた。
キッキレキが差し出したのは、ギルドチケットだ。
大陸全土で利用される共通通貨であるG(ゴルト)とはまた異なる、ギルド由来の通貨・紙幣である。冒険者ギルドと提携を結んでいる商会などでのみ利用できる紙幣だと、ギルドに加入したときの説明された……ような気がする。
「うう……何故だ~完全に運の流れがこっちに傾いてボロ勝してたのに、なんで大逆転負けになっちゃったんだよぉ~ボクのカード運はどこに行っちまったんだ~~!!」
カード? と、キッキレキの言葉に首を傾げ――そしてテーブルの上に広がっているカードを見て察した。
ギルドカードを利用したカードゲーム『ツヴァイハンター』で賭け事をしていた様だ。
<ツヴァイハンター>
知り合った相手に自己紹介代わりに渡せるように大量発行されたギルドカード。それを使った簡易な遊びである。ギルドに加入する際に登録した自分の属性ジョブ――
「戦士」「魔法」「機械」とギルドランクで勝敗を決めるゲームだ。
相手との読み合いが重要なゲームで、一方的に勝ち続けるには、余程の経験と技術、胆力に勝負勘が必要になるだろう(――まあ、やったことないけど……)。
「うう……ギルドチケット10万が全部持ってかれちまったよ~」
そのセリフを聞いていた周囲から、
「……おい、聞いたか?」
「そんな高額をこの場所で使い果たすなんて」
「え、バカなの?」
と、呆れ半分感嘆半分の声が次々と飛んでいた。
「――いやぁ、はじめはアンタの運の強さにビックリしたもんだが・・・最後の最後でオレの方にツキが来たようだな。じゃ、全部貰っていくぜ!」
そう言って、キッキレキのギルドチケットを持っていく男には、贔屓目に見ても経験・技術・勝負勘のどれかひとつでも持ち合わせているようには見えなかった。となれば、答えは自ずと見えてくる。
「――イカサマだなぁ、これは」
冒険者はそう断定すると、視線をキッキレキの調度後ろに位置するところに居並ぶ野次馬を観察する。程なくして、周りでなりゆきを酒の肴にしている客とは毛色の違う連中がいるのに気が付いた。キッキレキと勝負している男たちと何度も視線を合わせては忍び笑いを浮かべている。実に露骨なイカサマだった。
むしろ気づかない方がどうかしいてるレベルだが、キッキレキの顔は真っ赤であり、テーブルの上にはからになった杯がいくつも並んでいる。
誰がどう見たって酔っ払っていて、真っ当な判断なんて出来る様子には見えなかった。
(ギャンブルで調子に乗って身を滅ぼすタイプだ……)
キッキレキを見てそう判断した冒険者は、あきれて溜め息を零す。
「――おうおう!こうなったらとことんいってやるよぉぉぉぉ!」
キッキレキが立ち上がり、継ぎ接ぎのコートの内側から何かを取り出すと、それを勢いよくテーブルの上に置いた。対面していた男たちも、周囲の野次馬も目を丸くする。
テーブルの上に置いたのは、豪華絢爛と呼べる、金と銀で作られた細やかな装飾と、全体に幾何学的意匠が施されたショートボウガンである。ギャラリーから口笛や軽い拍手が飛ぶ中、キッキレキが赤ら顔のまま店内中に聞こえるような大声で叫んだ。
「 こいつはな、帝都のほうでも名の知れたドワーフの職人が作った一点ものだ!値打ちはさっきボクが負けた額のギルドチケットの10倍くらい価値ある物さ!貴族だった親父の形見のコレを賭ける!さっきまでのみみっちい額じゃ面白くねえ!こいつと、今アンタが持ってる全額とで勝負しようじゃないのよ!!」
キッキレキの口上に、周囲が一斉に喝采を上げた。
「いいぞー、酔っぱらい!」
「よっ、大盤振る舞い!」
「負けるまでがお約束だろー!」
飛び交うヤジを一身に受け、キッキレキは周囲を見回しながらそのヤジに応える。
「おーーー皆さん応援をありがとう! そして見ていてくれ、今から行われるボクの大逆転劇を!!さあ、アンタはどうする?このまま勝ち逃げとかないよね??」
キッキレキの挑発に男が答える。
「おい、コレは本物なんだろうな?だとするなら、オレの賭け金が足りないよな。ちょっと待ってろ___オイッ!!」
そういって仲間らしき男たちからギルドチケットと金をかき集めてテーブルにぶちまけた。
「これで100万G分くらいにはなるだろう?準備は整ったぞ。さぁこの大勝負、何に賭けるんだ?」
「今夜のカード運は尽きてしまったようだから違うゲームをしよう」
そういって、酒場の入り口の方にむかって指をさしながら大声で叫んだ。
「この店に次、入ってくる客が男か女のどちらかで賭けをしようじゃないか!単純なルールこれでどうだ??」
「ほう、面白そうじゃねえか。それじゃあ、オレは”男”に賭けるとしよう。いいよな?」
「それじゃあ、ボクは”女”に賭けよう!!よし、そうと決まれば・・・・」
といってキッキレキは片足を椅子に掛けて更に大声で叫ぶ。
「さあさあ、皆さん!今から世紀の大ばくちが始まるぜ!!皆様にはその見届け人になっていただきたい!!!」
店内に響く声と共にギャラリーも沸く。
(いやいや、そのルールで大ばくちをうつには無謀すぎるだろッ)
先ほどからイカサマをしている男には仲間が多数。そして、キッキレキの酔っぱらい具合。明らかに無謀。周りのギャラリーもキッキレキの負けを期待してニヤニヤしている。
(まったく、この酒場の客の質の悪さと来たら・・・)そう思いながら視線をキッキレキから入口のほうへと向ける。
すると、入り口近くでやっぱり何処か粗暴そうな気配を纏った男がにやりと口の端を持ち上げて、店の窓の外へと顔を出しているのが見えた。
(どれだけ仲間いるんだか……)
関心と呆れが等分した感想を抱く冒険者を他所に、キッキレキと対峙する男がテーブルにドンと手をついた。
「キッキレキさんよ~アンタ大分イカれてるな。負けてもオレを恨むんじゃねえぞ?」
「それはボクのセリフだぜ?なんせ、ここのみんなが証人なんだからな!」
二人とも不敵な笑みを浮かべて扉へと視線を向けた。そんなタイミングよく人がやって来るものではないだろうし、そもそも男のほうは先ほど仲間に合図を出していたので勝敗は決まっているようなもの。
昨日会ったばかりのキッキレキに思い入れはないが、黙って見過ごすのもどうしたものかと。冒険者は杯を傾けて喉を潤す。
(助けてやるか・・・)
冒険者が立ち上がり、行動に移そうとしたその時、ギィィィ――と扉の開く音がした。
「来たッ!!」
その場にいた全員の視線が、自然と扉へ集中する――
大衆酒場に静寂が訪れたが、それもほんの一瞬。その場にいた全員の予想を覆す、出来事が起きた。
オレンジ色のスカートの〝女性〟だ。女性が入ってきたのだ。
「どぅるぉらあああああああああああああああ!うおっしゃああああああああああああああああああああああああ!!! 」
一瞬遅れて、キッキレキが歓喜の叫びをあげた。同時に成り行きを見守っていたギャラリーも一斉に湧く!
入ってきた女性は自身が注目されていることに「え? な、なんでしょうか?」と、目を丸くする。
「ば、莫迦な……」と愕然とするのは、キッキレキと勝負をしていた男とその仲間達だ。互いの顔を見回せて、店の入り口に向かって走り出した。
冒険者も気になり彼らの追う。すると、店の扉の向こうでは、色眼鏡をかけた髭の大男が男を締め上げてるのが見えた。
「おお、こいつらはお前たちの仲間か?ワシの知り合いの女性に対して無礼な態度を取っててな。礼儀というものを教えてやってたのだよ」
そういって、両手で締め上げていた男たちをブンッと放り投げた。その剛腕と大男の迫力に男たちは何も言えず立ちすくんでいた。
「はいはいはーい! ってなわけで賭けはボクの勝ちだ!やっぱなしはナシよ? この場にいる全員が承認だ。そうだろみんなぁ!!」
キッキレキが嬉々とした様子で周囲を見回し、テーブルの上に置かれていたギルドチケットや金の山を自分の手元へと引き寄せ、告げる。
「――厳正なる勝負の結果、こいつは全部ボクのものだ! ひゃっほー!!!」
「クソッ!邪魔さえ入らなければ・・・・。」と悔しそうに項垂れる男。
「おんや~? 邪魔とはなんのことだ?もしかしてイカサマでも仕掛けていたのかな??」
「テメェ……気が付いてやがったのか??まさか酔っ払ってるフリをしていたのか?このニワトリやろう!!」
「はっ! なんとでも言うがいいさぁ。さて、一気に懐事情が寒々しい君らにボクからのちょっとしたお礼をしよう!――ってわけで、ミームさん! 例のやつ持ってきてぇ」
キッキレキの呼び声に応えたのは、つい先ほど酒場に現れたオレンジのスカートの女性はーーパン屋のミームだ。
彼女は大変人当たりの良い笑顔を浮かべながら、唖然とする男たちの前にクエストの依頼書とペンを置き「はい、此処に署名してくださいね」と促した。
そんなミームを見て、次いでキッキレキを見て、勝負に負けた男が酔っ払い顔のキッキレキに負けないくらい顔を真っ赤にしながら叫ぶ。
「お前ら、グルだったのか!!!」
「失礼な!単なる知り合いだよ。彼女がこの時間にいつも此処に来るのを知ってたから、賭けてみただけ!っていうか、店の外にいる仲間に入ってくるように指示を出してた君が言っていいセリフじゃないね、それ。」
「――良く言うわい」
ケッケッケと笑うキッキレキの声を遮るように、低く厳つい声が酒場の中に木霊する。店の入り口からぬっと姿を現した色眼鏡をかけた髭の大男が、どよめく酒場の客たちをのけながらキッキレキたちの下へ歩み寄り、テーブルの上に置かれているショートボウガンを見ながら嘆息を零した。
「この胡散臭い男の賭けたショートボウガン、本物は確かに値の張る代物だが――こいつはワシに依頼して作った贋作だ」
「あー! あー! あー! ちょっとユーク! なんで今それを言ったらダメだって!!」
唐突に現れてネタ晴らしをされてしまったキッキレキが急いでショートボウガンを隠す。そして、そんな話を目の前でされた男たちは、肩を怒らせて憤慨した。
「て、てめぇ!こいつも知り合いか!そして、 騙しやがったのか! そいつが値打ち物っつーからこっちは賭けに乗ったんだぞ!!」
「うるせぇ! あんなの嘘に決まってるだろ! そんな値打ち物持ってるわけないだろう。イカサマで勝ちに目がくらんでこのボウガンの真贋も見抜けなかった自分の眼を恨むことだな。まあ~何言ったって勝敗は変わらないぜ。アンタも冒険者の端くれなら諦めろってんだ!!」
意地の悪い笑みを浮かべるキッキレキにイカサマを指摘されてしまい、また文句を言う余地のない説明に、男は今度こそ言葉を失った。
「ギャンブルで騙し合いは正攻法だがバレてしまったらアウトだよね。これで君たちの恨みを買って路地裏で狙われるのは嫌だからさ。そのクエストに受けてくれるなら今夜の勝負は無かったことにするってのはどうだい??」
と、キッキレキが謎の提案を男に持ちかけた。
「何?本当か?また、だまそうとしてるわけじゃないだろうな!」
「あ、あの~これは嘘じゃないですよ。ちゃんとしたクエストですし・・・報酬金額もいいのでお勧めですよ」とミームがにっこり笑う。
男たちは急いで依頼書を確認し、サインをした。すかさずキッキレキがサインを確認し、「やったー!」と諸手を上げた。
「 一気に受注者ゲット!!!これでノルマ達成!!あ、言っておくけど、クエストは一度受けたらよほどのことがない限り解約できないからね!はい、お金はもういいや。返すよ」
そういって自分の負け分を回収し、残りをテーブルに戻した。
悔しさを滲ませそう吐き捨てる男たちは椅子から立ち上がると、「フンッ!しらけた。もう帰るぞ!!」といってその場から立ち去った。
その背を見送りひらひらと手を振るキッキレキは、そのまま周囲を見回して声を上げた。
「さーて、ノルマは達成したが物のついでだ! あの連中が受けたクエスト、他に受けたい人はいないかい? ちょっとしたお使いみたいのもので高額報酬が得られるお仕事だよ! あ、そこのキミどうだい? ちょっとこのクエスト内容見てみてよ~」
やじ馬たちを見回して、キッキレキは手に何枚ものクエストシートを持って手当たり次第に声を掛けていく。
大金を目の前にしても、自分が仲介してるクエスト参加者を増やすことが大事・・・・・・。まったく意味が分からない。少し心配してた自分がバカみたいだ。
「あの男は相変わらずだな。さあ、ワシらは飲むとするかミームよ」
「そ~ですねユークさん。飲みましょう飲みましょう。じゃあ、私は~パンはパンでも飲めるパンを注文しまーす!」
「また、なぞなぞか。ミームも相変わらずじゃなッ!ガッハッハ!」
あの二人も何もなかったかのようにお酒を飲み始めた。
騒がしいにもほどがあるが__まあ、これが酒場というものだろう。そう思いながら、空になった杯をカウンターへ戻し酒場を後にすることした。
◇◇◇
そして翌朝。
冒険者は、交易産業都市ディアマールを後に新たな旅に出ていた。目的地となる場所はずいぶん遠い。
エルフの隠れ里”メディナヘイム”はここから山を二つばかり越え、その先に堀がるゼゼナン荒野を抜け、更にもう一つ山を越えなければ目的地にたどり着けないのだという。ただのお手伝いクエストにしては大変な長旅だ。
正直、口車に乗って安請け合いをしてしまった昨日の自分を恨む。
「まあ、受けてしまった以上はしっかりと達成してするのが冒険者――か」
なんだかんだ言って、前金 10 万Gは破格である。更に成功報酬を貰えれば倍額になるのだから、旨味があるのも確かだ。あのキッキレキの話を聞く限り、あの男は随分あちこちの町を行脚してクエストを紹介しているらしい。とすれば、行く先々で同じようにクエストを受けている冒険者がいるかもしれない。気が合いそうな奴でもいれば、パーティを組むことを考えてもいいかもしれない。
「――それじゃあ、行くか。冒険に!」
己を鼓舞するように、冒険者はにっと口の端を持ち上げ――拠点としていた町を後にしたのだった。
5話 怪しい依頼と天然のパン屋 後編 完
執筆 Aoi shirasame
原案・編集 Esta